ギターを貸りて弾けるようになった人を見たことがない

バンドをやっていた頃、自分の狭い部屋にはギターがごろごろ置いてあった。多いときで4本ぐらいか。
ベースも2本、キーボードもあったからさすがに狭い。よく使っているギターは2本ぐらいにしても、貧乏性なもんで最初に買った数万円のギターなんかも、なかなか捨てられるもんじゃない。

そうすると当然飲みに来た友達とかがこう言ってくる。「いいな、オレもやってみたいから貸してよ」
貸すなら手放すより気が楽だ。それに友人がギターを弾けるようになったら…何とも楽しそうじゃないか。

もちろん快く「いいよ」。こんな経緯でギターは友人に背負われ持ち帰ることになる。

そして、しばらくして貸した相手の家に行ったときに「どう?ギターやってる?」と様子を聞くと・・・どうも芳しくない。

「やってみたけど思い通りに行かなくて・・・そのうち弾かなくなった」とか*1
中には、はなから「時間がなくて触ってない」なんてケースも。

そんなわけでギターを貸して、弾けるようになった人を見たことがない。これじゃただのギター保管場所のアウトソースだ。

ギターがやりたくてしょうがなくて。でもどうしてもお金が無くって。
そんな人ならこの機会を活かして弾けるようになるかもしれない。

でもそんなハングリーな人、実際にはなかなかいない。

そして、人間は簡単に得られたものを、粗末に扱ってしまいがちだ。

投資でよく言われるのは、

コツコツ貯めた100万円と、宝くじで当たった100万円。価値は同じなのに後者は軽く扱われるのに対して、前者を失うと人は大きく取り乱す

ということ。

それと同じだなぁ、と。

そんなことを何回か繰り返して、
「やっぱり目的意識が無いとダメなんだな」ということに気づいた。

これは他の要素でも同様だ。

部屋で腹筋やヨガをすればいいのにフィットネスジムに入会したり、
ネットの素材やNHK英会話を使わずに高い英会話スクールに通ったりする。
「〜円払ってるんだからマジメに行かなきゃ」効果を狙った、モチベーションを上げるために必要な投資なんだ。

それからは、「ギターを貸してくれ」という頼みに対しては、弾けるようになりたいなら・・・

買える範囲で一番高いギターを買うように

と薦めている。

見るたびに「練習しなきゃなぁ」と罪悪感に苛まれるような。

*1:「やってみたけど・・・ってたぶん10分ぐらいだろ?」とは私の心の声